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サケサカマスター
50s.YOKOHAMA代表
ミュージシャンをめざしてフラフラした20代。
飲食業にすべてを捧げた30,40代。
そして50代でライターデビュー。今も現役ライターとして活動するかたわら、後進育成のためにYouTube、コミュニティ、ライディングスクールなどを運営中。
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50代の挑戦①~廃業、転職、そして貧乏生活

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50代の挑戦①~廃業、転職、そして貧乏生活

Webライター。

最近はよく耳にするようになった言葉だ。特に、一度でもネットビジネスでお金を稼ぎたいと考えたことのある人なら、その名前を知らない人はいないだろう。

全国民の9割近くがインターネットを利用している現代(参考:総務省/令和5年版白書「第2部情報通信分野の現状と課題」)では、その活躍の場は広範囲にわたっている。つまり、Webライターの需要はあふれているというわけだ。

もちろん、その分Webライターを志す人も増えている。特に、ここ1年ほどで(執筆時は2023年12月)は、50代以上の高年齢からWebライターを目指す人が、大幅に増えたような気がする。

実際に、株式会社PLAN-Bが運営する「エラベル」が全国の男女1,231人を対象に行った「大人のなりたい職業」では、医師や公務員を抑えてライターが第1位に輝いている。

そしてその傾向は、50代、特に女性においてはより顕著だ。

これは、基本的に在宅で働けて、体力をさほど必要とせず副業としても取り組めるというのが、大きな理由の一つになっているのだろう。もちろん、50代や60代にもなれば、定年や老後という言葉が切実になっているので、そこへの備えとしてスキルを身につけたいという切実な想いもあるのかもしれない。

そのWebライターに、ボクは53歳のときに挑戦した。

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目次

挫折~自営店舗の閉店

挫折~自営店舗の閉店

はぁ……

すべての什器備品を片付け終えた店の中で、ボクは一人ため息をついた。ときは、まだ2010年が明けたばかりのことだ。2009年の大晦日で経営している店を閉店したボクは、その正月はずっと一人で店の片付けをしていたのだった。

27歳のときに飲食業に入り、それ以来の夢だった自分の店を持つことができたのは、33歳のときだった。しかし、それから10年弱がたった今、努力の甲斐なく閉店を迎えてしまったわけだ。

いや、「努力の甲斐なく」というのはウソだろう。正直いって、ここ2~3年大きく売上が落ちこみはじめた状況に、対応できなかったボクにすべての原因がある。支払いが厳しく金策に走り回るなどの努力をしたのは事実だが、営業に向けて最大限の努力をしたのかと聞かれると、正直素直に首を縦にふれない自分がいた。

どうすればお客さんによろこんでもらえるだろう

こうした想いをもとに、店をオープンした当時の気持ちはどこへやら、ここ数年は「いかに効率よく店が回せるか」ということばかりを考えていた気がする。お客さんを第一に考えることをやめてしまったら、飲食店なんてうまくいくはずがない。この閉店は、だれのせいでもないボクのせいだ。自業自得だったのだ。

結局ボクは、この挫折で多額の借金を残してしまった。

意欲なき消化試合

意欲なき消化試合

そのあと、ボクは知人が経営するステーキ屋さんで店長として勤めることになった。その店のオーナーは、店を閉店するにあたって、滞納していた家賃を清算するお金もなかったボクに、お金を貸してくれた友人でもあった。

そのオーナーは以前から知り合いだった女性で、ボクが店をやっているころから、幾度となく自分の店に来て欲しいと誘われるぐらい、ボクのことを買ってくれていた人だ。「もし店を閉めることになったらウチに来てよ」という彼女に、そのときは「縁起でもない」といっていたものだったが、気がつけばそれが現実になってしまったわけだ。

けれども、いざ店に着任してみると、場所柄もあってその店のお客さんの大半は地元のヤ◯ザばかり。そのせいもあって、一般のお客さんはほとんど近づかないという、ある意味イビツな店だった

それでも、借りたお金を返していかなければならないボクは、シェフや他の従業員と協力しながらなんとか店を回していった。売上は、まぁよくもあり悪くもあり。客層が客層だったので、一撃数十万円という売上があがる日もあれば、閑古鳥がなく日もあるという不思議な店だった。

とはいえ、それまでのボクは「利酒師」や「焼酎アドバイザー」というような資格を持っていたように、どちらかといえば和風系が専門だったのだ。ステーキとワイン(しかもある程度高級な)というジャンルは門外漢もよいところで、なかなかなじめずにいた

ところが、その店に勤めはじめて1年半ぐらい経った頃だろうか。とある和食の親方から、「新しい店を作るからそこに店長としてこないか?」という誘いをいただいた。彼は、友人を通してそのころ知り合ったばかりの人ではあったが、ボクが店長を務めているステーキ屋に何度か訪れ、店内でのボクの動きを見て「こいつは使える」と思ってくれたのがきっかけだった。

自分の店を閉めて以来、自分の得意ジャンルではないということをいいわけにして、消化試合のように情熱を傾けられずにいたボクにとって、その話は渡りに船だったのだ。

しかし、今のオーナーに借りたお金はまだ返し終わっていない。それに、自営業をやめたボクがそのあとすぐに仕事にありつけたのは(しかもお金まで貸してくれて)、まぎれもなく彼女がいたからなのだ。そうかんたんに「お願いします!」とはいえずにボクは悩んでいた。

そして、ボクは新しくはじまる店のオーナーに、そんな状況をすべて包み隠さず話したのだ。すると彼は「それなら、オレが残りのお金を全部出してやる。それを契約金というか移籍金と思ってもらえばいいから、別に返さなくてもいいよ」といってくれた。

そこまで自分を買ってくれているのか

そのうれしさがあった。しかしそれよりも、返す必要がなく今の借金がチャラになるなら、こんなにありがたい話はない。そんな思いに取り憑かれたボクは、ワラをもつかむ気持ちでその話にのることにした。

とはいえ、さすがにそれだけ世話になった現オーナーに、後ろ足で砂をかけるような形で辞めたくはない。せめて次の店長が決まるまでは、その恩を返してから辞めたい。新しい店に合流するのは、それからでもいいだろうか?そんなふうに相談すると、彼はうなずいてくれた。

そうしてボクは、ステーキ屋のオーナーに「辞めさせてもらいたい」という意向を伝える。すると彼女は「プラス5万までなら給料をアップしてもいい」なんてことをいってくれたのだ。実際その額は、新しくいく予定の店の給料よりは少しだけいい。

とはいえ、店を移りたい理由はお金の問題ではなかったのだ。自分が本当にやりたいジャンルの飲食店で、思う存分腕をふるってみたいという想いのほうが強かった。

そこでボクは、「すみません、お金の問題じゃないんです」と伝え、理解を求めた。そして結局、ボクが出した次の店長が決まるまでという条件と、借金の残りはもらうはずの給料で支払うということで納得してくれた。

最後には、「でも、そのほうがいいのかもね。自分が本当にやりたい方向性の店に行きたいという気持ちはよく分かる」とまでいってもらえたのは、今から考えても感謝しかない。ついでに彼女は、「いつでも戻ってきていいよ」なんて笑いながらいってくれたが、それは許されるものではないだろうし、もとよりそんなことになるつもりはない。

それから約2ヶ月後、ちょうど少し前にボクと同様に自分の店を閉めた友人に声をかけ、後任店長として店をまかせることに決めたボクは、一応の円満退社をかなえたのだ。といっても、最後の1ヶ月分の給料は当然ながら一銭もなかったけど。

これは裏切り?

これは裏切り?

そうしてボクは、新しい店に合流することになる。

オープンにあたっては飲料メニューの決定や、店長代行をまかせるスタッフへの教育など、ボクもいろいろと協力していたので、スムーズな合流が果たせるだろう。ボクは、そんな思惑を持っていた。

けれども、その想いはすべて裏切られることになってしまう。

ボクが合流したとき、いや、合流しようとしたとき、その店はすでにまともな機能をしていなかったのだ。新しい店のオーナーは板前や親方としては確かな実績を持っている人ではあったが、その分若いスタッフには厳しすぎる人で、おまけに相当短気な人だったようだ。ホールとして雇ったはずの店長代行ともう一人のスタッフは、彼の求める仕事をこなすことができず、どちらも辞めさせられてしまっていたのだ。

調理場のスタッフとして自分の息子を手伝いに越させてはいたものの、ホール担当は一人もいないという状態。つまり、ボクが合流するまではまともな営業ができない状態にあったのだろう。だからというのはおかしな話だと思うが、それをいいわけに彼はボクが合流するまで店を閉めてしまっていたのだ。

もちろん、新しい店の店長として入る以上、ゼロからすべてを作り上げていくのはあたりまえだし、そんなことはボクもこれまでの経験でなれている。

とはいえ、一度オープンした店を一ヶ月も経たずに閉めてしまったという評判は、想像以上に店に悪影響を与えてしまうものなのだ。さらにとんでもないことに、再オープンしたばかりでまだまだ暇な日が続く状態に、お客さんがいないときにはオーナー板前の彼はどこかに遊びにいってしまうのだった。

「客が来たら電話してくれ」とはいうものの、ボク一人で店を守っている状態でお客さんが来店してから、どこかで飲んでいるであろう彼を呼び出して戻ってくるまで、お通しひとつ出せないのはマズすぎる。というのも、彼は自分がいないにも関わらず、ボクが冷蔵庫を開けるのを極端に嫌っていたからでもある。結局ボクは、自分が管理しているお酒を出す以外、お客さんがどれだけまっていようと料理一つだすことができないのだ。

これでは、店がうまくいくわけはない。当然ながらお客さんが増えることもないし、お客さんがいなければ余計に板前がいない時間が増える。まさに悪循環だった。

しかも、彼は最初に約束してくれた額の給料を払ってくれなかった。当然だ。店の売上なんてすずめの涙程度のものしかないのだから。資産は持っているという話だったが、2ヶ月先ぐらいまではそれに手をつけることもできないという、ボクにとってはどうでもいい理由しか説明されなかった。

おまけにボクが店を移る決め手となった契約金の件も、「そんなこといったか?」としらばっくくれるばかりで、払ってもらうことができなかったのだ。ステーキ屋の最後の給料をもらっていないボクは、とたんに生活に困ってしまった

さらに彼は「この店を人に貸すことにしたわ」といいだしたのだ。それは、ボクがその店に合流してまだ一ヶ月ちょっとしか経たないころだった。

一応彼は、次に「〇〇(とある東京の地名)で居抜きの店を引き受けることにしたから、おまえもそこで働けや」などといいだした。しかもあろうことか、その店を開けるまでの1ヶ月間ぐらいは、どこかでバイトでもしててくれという始末。もうここまでくればボクも願い下げだ。

結局ボクは、その店に二ヶ月ほど在籍し、一ヶ月分の給料しか受け取らず辞めることになってしまった。移籍金も含めて、約二ヶ月分の給料を取りっぱぐれた計算だ。それもこれも、しっかりとした契約書を交わしていなかったボクに問題がある。

そしてなにより、人を見る目を持っていなかったのが一番の敗因だろう。

ボク史上もっとも貧乏な時代

ボク史上もっとも貧乏な時代

突然、予測もなく無職になってしまったボクだったが、いくらなんでもステーキ屋に戻るわけにはいかない。そんな迷惑はかけられないし、なによりそんなカッコ悪いことはしたくなかった

とはいえ、この三ヶ月ぐらいはまともに給料をもらっていない。わずかばかりの蓄えとともにほそぼそと暮らしてはいたものの、すぐにどこかで働かなくては生活そのものができなくなってしまう

そのころボクは45歳。我ながら情けなくて涙が出そうだった。

いや、途方にくれすぎて涙もでなかったというのが当時のボクの本音だ

考えあぐねたボクは、友人が派遣の斡旋業をやっていることを思いだし、彼に現状を説明して仕事を紹介してもらうことにした。紹介されたのは、自宅から徒歩で通うことのできるとあるデパートの品出し。六ヶ月間の契約派遣だった。

契約派遣という形で働くのははじめてだったが、しょせんはアルバイトのようなものにすぎない。飲食業以外特別なスキルも持っていないボクがすぐに働けるのは、時給1,000円ちょっとで9時から17時まで、週に5日働いても15~16万円程度にしかならない仕事しかなかったのだ。

もっと稼ぎたいボクは、もう少しシフトを入れてもらえないかと交渉してみたものの、契約や規約上それは許されない。その他に飲食店なりのバイトが決まればそれもよかったのだが、なかなかそうした都合のよい仕事もなく、結局ボクは六ヶ月の間15万円程度の月収で生活することになってしまった。

これでは、もう20年以上まえ、フリーターをやっていたころとたいして変わらない金額だ。とはいえ、そのころは実家に住んでいたので、生活水準は今のほうがはるかに悪い。ボクの人生で史上もっとも貧乏だったのがこのときだった。

飲食店に勤めていたこともあり、これまではあまり食費に困ったことはなかったのだが、このころは本当に食費も切り詰めなければならないほど苦しかった。週に1~2度スーパーに買い出しにいき、ほそぼそと自炊をしながら生活した。お酒などはたまにしか買う余裕はなかったし、これまで当たり前のようにやっていた「飲み屋にいく」なんて真似はできるはずもない

当然、友だちと会う機会も減っていった。ボクの暗黒時代といってもいいかもしれない。

そのあと、デパートの契約が切れたボクは、たまたま求人アプリで見つけてお盆期間だけ一週間のヘルプで入ることになった、とあるチェーン系飲食店のフランチャイズ店で、「ウチで働いてみないか?」との誘いに応えて再び飲食業に戻ることになるのだが、その話は次回に譲ろう。

そこでも最後まで情熱をもって働くことができなかったボクは、またしてもおいしい話にのって転職することになってしまうのだが、それが大きな転機を迎えるきっかけとなったのだから、人生なにがどう転ぶかわからないものである。

つづく

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